上方漫才の伝説・今いくよくるよ|深すぎる絆と感動エピソードの真実
昭和から平成、そして令和の演芸界を鮮やかに駆け抜けた女性漫才のパイオニア、今いくよ・くるよ。派手な衣装と「どやさ!」のフレーズでお茶の間を沸かせた二人は、男性優位だった当時の上方漫才界に革命を起こし、確固たる地位を築き上げました。
舞台上での息の合った掛け合いだけでなく、プライベートでも誰よりも深く結ばれていた二人の絆は、今なお多くの芸人やファンに語り継がれています。波乱に満ちた経歴から闘病生活、そして後輩たちから敬愛され続けた感動の舞台裏まで、上方漫才の至宝が残した軌跡を辿ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:高校の同級生として出会い、1970年に島田洋之介・今喜多代へ弟子入り。女性漫才師の地位向上を牽引したパイオニア。
- 要点2:今いくよさんは2015年に胃がんで、今くるよさんは2024年に膵神経内分泌腫瘍で逝去。生涯独身を貫き漫才に人生を捧げた。
- 要点3:中川家をはじめとする後輩芸人への手厚い面倒見と深い愛情は、吉本興業の歴史における「伝説」として語り継がれている。
【波乱の歩み】高校ソフトボール部から吉本興業のトップスターへ至る経歴
二人の原点は、京都明徳高校のソフトボール部にありました。キャプテンを務めた今いくよさんと、エースで4番だった今くるよさん。青春時代に培われた絶対的な信頼関係こそが、半世紀に及ぶコンビ活動の強固な土台となります。
高校卒業後、一度はそれぞれ社会人として就職したものの、お笑いの道を志して1970年に名門・島田洋之介・今喜多代へ弟子入りを果たしました。当時の演芸界は完全な男社会であり、女性コンビに対する風当たりは決して穏やかではありませんでした。しかし、二人は劇場の客層を徹底的に研究し、独自のスタイルを模索し続けます。
転機となったのは、1980年代初頭の漫才ブームでした。同期や同世代のオール阪神・巨人、ザ・ぼんち、明石家さんまさんらとしのぎを削りながら、全国ネットのバラエティ番組へ進出。1984年には「上方漫才大賞」大賞を受賞するなど、吉本興業を代表する看板コンビへと登り詰めました。
【漫才スタイルと代名詞】「どやさ!」と体型イジリを芸術に昇華させた革新性
今いくよ・くるよの漫才は、細身で厚化粧のいくよさんと、ふくよかで派手なドレスを身にまとったくるよさんのビジュアルコントラストを最大限に生かしたものでした。「細いほう」「太いほう」とお互いを容赦なくイジり合いながらも、根底には決して相手を傷つけない温かさと気品が漂っていました。
特にくるよさんが自分のお腹を両手でリズミカルに叩きながら放つ「どやさ!」というフレーズは、関西弁のニュアンスを超えて全国的な流行語となりました。この動き一つで劇場の空気を一変させ、観客を爆笑の渦に巻き込む技術は、長年の鍛錬によって磨かれた職人芸そのものでした。
彼女たちの漫才ネタは、単なる自虐や身体的特徴の嘲笑にとどまらず、女性の日常や本音を巧みに織り交ぜた上品な話術へと昇華されていました。だからこそ、老若男女を問わず幅広い層から半世紀にわたって支持され続けたのです。
【別れの真相と現在】今いくよさんの胃がんと今くるよさんの旅立ち
常に二人三脚で歩んできたコンビに、過酷な試練が訪れたのは2014年秋のことでした。今いくよさんに胃がんが見つかり、治療のための休養を余儀なくされます。懸命な治療を経て2014年12月にはなんばグランド花月の舞台へ奇跡の復帰を果たしたものの、病魔の進行は止まりませんでした。
2015年5月28日、今いくよさんは胃がんのため67歳でこの世を去りました。相方を失ったくるよさんの悲しみは計り知れないものでしたが、気丈にも会見で「日本一の相方やった」と涙ながらに語り、いくよさんの遺志を継いでピン芸人として活動を継続しました。
その後、くるよさんも徐々に体調を崩し、表舞台に立つ機会は減少していきました。そしていくよさんの旅立ちからほぼ9年後の2024年5月27日、今くるよさんは膵神経内分泌腫瘍のため大阪市内の病院で逝去(享年76)。奇しくもいくよさんの命日の前日に旅立ったその事実は、「天国で再び漫才を始めたに違いない」と多くの人々の胸を打ちました。
【後輩・芸人仲間が明かす名エピソード】弟子入りや結婚をしなかった二人の深い愛
私生活において、二人は生涯結婚を選択しませんでした。漫才と舞台に人生のすべてを捧げる覚悟を決めていたからです。その一方で、注がれた愛情は後輩芸人たちへと惜しみなく向けられました。
とりわけ彼女たちを「お母ちゃん」のように慕っていたのが中川家でした。剛さんと礼二さんが若手時代に悩んでいた際、くるよさんは楽屋に大量の食事や高級弁当を差し入れ、「あんたらは面白いんやから堂々とやりなさい」と励まし続けました。食事代をすべて支払うだけでなく、若手全員にお小遣いを手渡すなど、その面倒見の良さは吉本興業の語り草となっています。
また、正式な弟子だけでなく、劇場で挨拶を交わす若手すべてを自分の子供のように気にかける姿勢は、楽屋の雰囲気を常に明るく保つ原動力となっていました。自分たちの成功に甘んじることなく、後進の育成と居場所づくりに尽力した姿こそ、二人が芸人仲間から絶大なリスペクトを集めた最大の理由です。
【芸能界を揺るがした追悼コメント】今なお受け継がれる上方漫才のレガシー
二人の旅立ちに際して寄せられた追悼コメントの数々は、彼女たちが演芸界に遺した功績の大きさを物語っています。
西川きよしさんは「舞台袖から見せる二人の笑顔が劇場の宝だった」と振り返り、桂文枝さんは「女性漫才の新しい地平を切り拓いた偉大な二人」とそのパイオニア精神を称賛しました。また、後輩である中川家や海原やすよ ともこらは、舞台上で受けた薫陶と人間的な温もりへの感謝を涙ながらに語りました。
2026年を迎えた現在も、吉本興業の劇場や演芸番組において、二人が築いたテンポの良い掛け合いや舞台マナーは、若手女性芸人たちにとっての不変の教科書として息づいています。肉体は滅びても、彼女たちが残した笑いの遺伝子は確実に次世代へと受け継がれています。
【今いくよくるよ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:今いくよさんと今くるよさんの死因は何でしたか?
A1:今いくよさんは2015年5月28日に胃がんのため67歳で逝去されました。相方の今くるよさんは2024年5月27日に膵神経内分泌腫瘍のため76歳で亡くなられました。
Q2:二人は結婚されていましたか?
A2:お二人とも生涯を通じて独身でした。高校時代からの盟友として、私生活のすべてを漫才と舞台活動、そして後輩の育成に捧げた人生でした。
Q3:トレードマークの「どやさ」にはどんな意味があったのですか?
A3:京都や関西の方言で「どうですか?」「どうなの?」を意味する言葉です。今くるよさんが舞台上でお腹を叩きながら発したことで代名詞となり、全国的なギャグとして定着しました。
まとめ:永遠に色あせない上方演芸の宝として
高校のグラウンドで出会い、半世紀以上にわたって苦楽を共にしながら、日本中に笑いを届け続けた今いくよ・くるよ。女性芸人の道なき道を切り拓き、誰よりも後輩を愛した二人の生き様は、上方漫才の歴史に燦然と輝く金字塔です。
天国という新たな大舞台でも、いくよさんの軽妙なツッコミとくるよさんの豪快な「どやさ!」が響き渡り、観客を笑顔にし続けているに違いありません。 (出典: 今 いくよ くる よ(Yahoo!ニュース))