西郷隆盛の銅像はなぜ本人と違う?妻の衝撃発言と三大銅像の真相

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西郷隆盛の銅像はなぜ本人と違う?妻の衝撃発言と三大銅像の真相
西郷隆盛の銅像はなぜ本人と違う?妻の衝撃発言と三大銅像の真相
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東京・上野恩賜公園の高台に立ち、今なお多くの観光客や修学旅行生を迎える西郷隆盛像。愛犬を連れて着流し姿で佇む姿は「上野のシンボル」として定着していますが、その完成除幕式において、西郷の妻であるイト(糸子)が思わず漏らした「うちの人はこげんな人じゃなか(夫はこんな人ではありません)」という言葉は、あまりにも有名な歴史のミステリーとして語り継がれています。

そもそも西郷隆盛は極度の写真嫌いで知られ、本人の肖像写真が1枚も残されていません。では、私たちが教科書や上野公園で見上げるあの精悍な顔立ちは一体誰をモデルに作られたのか。そして、なぜ大日本帝国陸軍の大将であった彼が軍服ではなく「浴衣のような着流し姿」で造られたのか。鹿児島や霧島に立つ銅像との決定的な違いとともに、制作の裏に隠された明治の政治的背景と人間ドラマを紐解きます。

📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
  • 顔の真相:本人の写真が存在しないため、イタリア人画家キヨッソーネが実弟・西郷従道といとこ・大山巌の顔をモンタージュして描いた肖像画をベースに制作された。
  • 妻イトの発言の真意:「似ていない」という顔立ちの違和感に加え、大将たる夫が人前で普段着(散歩着)を晒していることへの礼儀上の戸惑いが背景にあった。
  • 全国の銅像の対比:上野公園の親しみやすい狩猟姿に対し、鹿児島市街地(城山)は威厳ある陸軍大将の軍服姿、霧島市の西郷公園には高さ10.5メートルの日本一巨大な立像が聳え立つ。

【なぜ似てない?】本人の写真が1枚もない西郷隆盛の顔の真実と制作秘話

西郷隆盛の銅像を語るうえで最大の謎となるのが「本人の本当の顔」です。明治の元勲の多くが写真を残すなか、西郷は暗殺を警戒したことや極端な写真嫌いであったことから、生涯にわたって一度も写真館で撮影に応じませんでした。

現在私たちが西郷の顔として広く認識しているイメージは、明治政府の印刷局に招聘されていたイタリア人画家エドアルド・キヨッソーネが描いた肖像画が元になっています。キヨッソーネは西郷本人と直接会ったことがなかったため、西郷の血筋を引く親族の顔を組み合わせて描くという驚きの手法を取りました。

具体的には、顔の上半分(目元や眉)を実弟である西郷従道から、顔の下半分(鼻や口元、ふくよかな顎のライン)を従弟である大山巌から取材し、関係者の証言を突き合わせながら1枚のモンタージュ肖像画を完成させたのです。

上野公園の銅像を手掛けた日本彫刻界の巨匠・高村光雲は、このキヨッソーネの肖像画や西郷を知る旧薩摩藩士たちの記憶を手がかりに、何度も試作を重ねて粘土原型を彫り上げました。つまり、上野の西郷像は「実物の再現」ではなく、「人々が抱いていた理想の西郷像の結晶」ともいえる芸術作品なのです。

【妻イトの衝撃発言】「うちの人はこげんな人じゃなか」の本当の真意

明治31年(1898年)12月18日、晴天に恵まれた上野恩賜公園で挙行された除幕式。幕が振り落とされた瞬間、招待席にいた西郷の妻・イトが漏らしたとされるのが「あら、うちの人はこげんな人じゃなか」という言葉でした。

この一言は長年「夫の顔に全く似ていなかった証拠」としてセンセーショナルに扱われてきましたが、歴史研究が進むにつれ、その言葉のニュアンスには別の重要な文脈が含まれていたことが分かっています。

薩摩武士の妻として誇り高く生きてきたイトにとって、大日本帝国陸軍筆頭大将であった夫が、多くの人々が見上げる公の場において「帯を緩めたような普段着(薩摩かすりの着流し)で突っ立っている姿」は、極めて無作法で恥ずかしい光景に見えたのです。「表に出る時にこのようなだらしない格好をする人ではなかった」という、武士の妻としての礼節や名誉を重んじる心情からの発言であった側面が強く指摘されています。

【浴衣姿と愛犬ツンの謎】なぜ軍服ではなく狩猟姿で建てられたのか

上野公園の西郷隆盛像が軍服ではなく、一見すると「浴衣」に見えるような狩猟用の着流し姿で制作された背景には、当時の極めてデリケートな政治的事情が存在しました。

明治10年(1877年)の西南戦争で明治政府に弓を引き、城山で自刃した西郷は、法的には「朝敵(国家反逆者)」の烙印を押されました。その後、明治22年(1889年)の大日本帝国憲法発布に伴う大赦によってようやく名誉が回復された経緯があります。

銅像建立計画が持ち上がった際、政府に反旗を翻した軍人としての西郷(陸軍大将姿)を東京の帝都に建てることには強い政治的反発がありました。そこで選ばれたのが、西郷が愛した趣味である「ウサギ狩り」の姿でした。軍事色を完全に排除し、庶民に愛された「無欲で親しみやすい西郷どん」としての姿を表現することで、政府と旧薩摩藩士、庶民の双方が納得する着地点を見出したのです。

また、西郷の傍らでお座りをする愛犬の名前は「ツン」として知られていますが、この犬の造形にも驚くべき裏話があります。

犬の彫刻を担当したのは名工・後藤貞行でした。西郷が溺愛していた愛犬ツンは薩摩犬のメスでしたが、銅像制作時にはすでに死亡していました。そのため後藤は、別の薩摩犬のオス(海・かい)をモデルにして造形を行いました。その結果、本来のツンよりも首太で筋肉質な、堂々たる体躯の猟犬像が完成したと伝えられています。

【鹿児島・霧島との比較】軍服姿の城山像から巨大像西郷公園まで

西郷隆盛の銅像は上野公園だけではありません。郷里である鹿児島県内には、上野とは全く異なるコンセプトで制作された著名な銅像が存在します。

1. 鹿児島市街地・城山の西郷隆盛銅像
鹿児島市城山の麓に立つ銅像は、昭和12年(1937年)に鹿児島市出身の彫刻家・安藤照(忠犬ハチ公像の初代製作者)によって制作されました。上野の着流し姿とは対照的に、陸軍大将の正装軍服を身にまとい、直立不動で威風堂々と正面を見据えています。没後50年を記念して建てられたこの像こそ、地元・鹿児島の人々が誇りに思う「軍司令官・指導者としての西郷隆盛」の姿です。

2. 霧島市・西郷公園の巨大銅像
鹿児島空港のすぐ目の前に広がる西郷公園には、人物の銅像としては日本一の大きさを誇る高さ10.5メートル・重さ30トンの西郷隆盛像が鎮座しています。もともとは京都に建立される予定だったものが紆余曲折を経て鹿児島に里帰りしたもので、その圧倒的なスケール感は訪れる人々を圧倒します。

【場所とアクセス】全国の西郷隆盛像を巡る現地ガイド

主要な西郷隆盛銅像へのアクセス情報をまとめました。歴史散策や観光の際の目安として活用してください。

■ 上野恩賜公園 西郷隆盛像(東京都台東区)
・アクセス:JR「上野駅」西郷口・公園口より徒歩約2分、京成電鉄「京成上野駅」より徒歩約1分。
・見どころ:高村光雲作の本像と後藤貞行作の愛犬ツン。春は桜の名所としても賑わいます。

■ 鹿児島市 西郷隆盛銅像(鹿児島県鹿児島市城山町)
・アクセス:JR「鹿児島中央駅」からカゴシマシティビューバスで約10分「西郷銅像前」下車すぐ。
・見どころ:城山の豊かな緑を背景にした軍服姿。通りを挟んだ撮影スポットからの全景が美しく収まります。

■ 西郷公園 巨大銅像(鹿児島県霧島市溝辺町)
・アクセス:鹿児島空港国内線ターミナルから徒歩約5分(空港連絡バス乗り場至近)。
・見どころ:日本最大の偉人立像。空港の待ち時間やフライト前後に気軽に立ち寄れる絶好のロケーションです。

【歴史と経緯のまとめ】明治の激動から現代へ受け継がれる西郷像の意義

上野公園の西郷隆盛像は、宮内省からの下賜金をはじめ、全国の旧幕臣や一般市民からの寄付金など、計2万5000人以上もの有志の浄財によって建立されました。勝海舟をはじめ、かつて敵味方に分かれて戦った多くの人々が彼の死を悼み、その名誉と徳を後世に伝えるために力を合わせたのです。

西南戦争という近代日本の最大の悲劇を乗り越え、国民統合の象徴として上野の山に建てられた西郷像。肖像写真が一枚もなかったからこそ、人々が胸に抱いた「情に厚く、無欲で、庶民を愛した巨漢」という理想の人間像が、彫刻の中に永遠の生命を与えられたといえます。

【西郷隆盛の銅像】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:上野公園の西郷隆盛像が連れている犬の本当の性別は?
A1:西郷隆盛が生前可愛がっていた愛犬「ツン」は薩摩犬のメスでしたが、銅像制作時にモデルとなった犬(海)がオスだったため、銅像自体はオスの特徴を持って制作されています。

Q2:西郷隆盛の本物の写真は本当に存在しないのですか?
A2:公式に確認された西郷本人の写真は現在も1枚も見つかっていません。フルベッキ写真など「西郷が写っているのではないか」と噂された古写真は複数存在しますが、いずれも歴史研究によって本人ではないと否定されています。

Q3:上野公園の銅像の服装はパジャマや浴衣なのですか?
A3:浴衣や部屋着ではなく、ウサギ狩りなど野山を歩くための「薩摩かすりの着流し(狩猟用の散歩着)」です。足元には草履を履き、腰には獲物をさばくための腰刀(山刀)を差しています。

まとめ:銅像のディテールに刻まれた激動の歴史と愛された巨人の面影

上野恩賜公園に佇む西郷隆盛像の細部に目を向けると、そこには明治という激動の時代を駆け抜けた人々の葛藤と知恵が凝縮されています。本人の顔写真がない中で模索されたキヨッソーネの肖像画、妻イトが感じた武士としての誇り、軍事色を消して親しみやすさを前面に出した狩猟服姿など、すべての造形に明確な歴史の理由が存在します。

東京の上野、鹿児島の城山、そして霧島の西郷公園。それぞれの銅像が異なる表情と服装で造られた背景を知ることで、西郷隆盛という人物がどれほど多面的であり、時代を超えて日本人に愛され続けてきたかが深く理解できます。現地を訪れた際は、ぜひそのディテールに刻まれた歴史の息吹をじっくりと確かめてみてください。 (出典: 西郷 隆盛 銅像(Yahoo!ニュース))

西郷 隆盛 銅像