元関脇・益荒雄の現在と病気・退職の真相|白いウルフの波乱万丈録
昭和最後の大相撲ブームにおいて、均整の取れた筋肉質の体躯と鋭い立ち合いで列島を熱狂させた「白いウルフ」こと元関脇・益荒雄(益荒雄広生)。横綱・千代の富士を鮮やかな相撲で連続撃破し、土俵上に吹き荒れた「益荒雄旋風」の記憶は、オールドファンのみならず現在の相撲ファンの間でも色褪せることはありません。
引退後は師匠として阿武松部屋を創設し、阿武咲をはじめとする関取を育成して名伯楽と称えられましたが、2019年に惜しまれつつ日本相撲協会を退職しました。表舞台から退いた今、益荒雄の体調や病気の噂、現在の暮らしぶりはどうなっているのか。波乱万丈の土俵人生から退職に至った真相、そして現在の様子まで徹底取材の視点で紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:「白いウルフ」益荒雄は現在、千葉県内で療養と静養を続けながら阿武松部屋や愛弟子たちの土俵を温かく見守っている。
- 要点2:相撲協会退職の真相は、2019年に脳梗塞などの体調不良が重なり、全力で弟子の指導を継続することが困難になったことによる自主的な勇退。
- 要点3:部屋は弟子の大道(現・阿武松親方)へ無事に継承され、阿武咲をはじめとする直弟子たちが今もその「ガチンコ精神」を継承している。
【2026年最新】元関脇・益荒雄の現在と気になる病状・近況
大相撲界を揺るがした電撃退職から歳月が流れた現在、元関脇・益荒雄こと手柴広生氏は、千葉県習志野市周辺で静かに療養生活を送っています。退職当時に囁かれた深刻な病状を心配する声は今も絶えませんが、現在は無理のないペースで通院やリハビリを続け、体調をコントロールしながら穏やかな日々を過ごしています。
かつてのように連日本場所に姿を見せたり、メディアへ頻繁に出演したりすることはありませんが、相撲への情熱が失われたわけではありません。テレビ中継を通じて愛弟子たちの取組を欠かさずチェックし、後継者たちへ陰ながらエールを送り続けています。相撲関係者の証言によると、「相撲談義になると当時の鋭い眼光が戻り、弟子の成長を誰よりも喜んでいる」と伝えられており、指導者としての魂は健在です。
「白いウルフ」益荒雄広生の伝説|千代の富士撃破と通算成績
益荒雄を語る上で外せないのが、1980年代後半に巻き起こった社会現象「益荒雄旋風」です。色白で引き締まった精悍な体つき、そして本家「ウルフ」こと千代の富士を彷彿とさせる精悍な顔立ちから、ファンは彼を「白いウルフ」と呼び親しみました。
最大のハイライトは1987年(昭和62年)春場所でした。初日に絶対王者であった横綱・千代の富士から気迫溢れる相撲で初金星を奪うと、快進撃を続けて11勝をマークし、殊勲賞と技能賞を獲得。続く夏場所でも新小結の地位で再び千代の富士を寄り倒し、2場所連続で大横綱を破る快挙を達成しました。
益荒雄の通算成績は395勝348敗135休(幕内成績214勝214敗102休)。三賞獲得は5回、金星2個。右膝の靭帯断裂など幾度もの大怪我に見舞われ、番付を大きく落としながらも不屈の闘志で幕内上位へ返り咲いた姿は、昭和の大相撲史に残る名場面として語り継がれています。
鍛え抜かれた肉体美|益荒雄の身長・体重とキレ味鋭い取り口
大型力士が台頭し始めていた当時の角界において、益荒雄の体格は身長188cm・体重約125kg〜127kgと、決して重量級ではありませんでした。しかし、無駄な脂肪のないソップ型の肉体は鋼のように鍛え上げられており、俊敏なフットワークと厳しい稽古に裏打ちされた前褌(まえみつ)を取るスピードは群を抜いていました。
立ち合いから鋭く踏み込み、左前褌を引いて頭をつける形に入れば、巨漢力士であっても一瞬で土俵外へ寄り切るか、鮮やかな投げで転がす技術を持っていました。怪我に泣かされ続けた現役生活でしたが、「土俵の上では一切の妥協を許さない」という気迫溢れる取り口こそが、多くのファンを魅了した理由です。
阿武松部屋の創設と電撃退職の真相|情熱指導と勇退の背景
1990年に現役を引退した益荒雄は、年寄・錣山を経て阿武松(おうのまつ)を襲名。1994年に押尾川部屋から分家独立する形で千葉県習志野市に「阿武松部屋」を創設しました。
師匠としての指導方針は徹底した「礼儀作法」と「土俵第一主義(ガチンコ勝負)」でした。相撲界の古い慣習にとらわれず、弟子の人間教育に重きを置く指導スタイルは角界内外から高く評価され、大道(現・阿武松親方)や益荒海、そして実力派関取の阿武咲など多くの関取を育て上げました。
順風満帆に見えた部屋運営でしたが、2019年9月に突然の退職を発表します。その直接の理由は度重なる病気と体調不良でした。現役時代からの勤続疲労に加え、脳梗塞などを患ったことで、「気力・体力ともに弟子を土俵下で全力指導できる状態でなくなった以上、師匠の座に居座るべきではない」という、益荒雄らしい筋を通した決断によるものでした。部屋の看板は、信頼する愛弟子の元幕内・大道へと託されました。
益荒雄を支える家族の絆|息子たちの挑戦と父親の背中
土俵内外で戦い続けた益荒雄の人生を語る上で、家族の存在は欠かせません。益荒雄には2人の息子がおり、共に父親の背中を追って相撲の道に進みました。
長男の手柴敏夫氏は阿武松部屋に入門し、「阿武山」の四股名で土俵に上がりました。厳しいプロの世界で奮闘した後は土俵を退き、父親をサポートする側に回りました。次男の手柴真宏氏は名門・慶應義塾大学相撲部で主将を務めるなどアマチュア相撲界で活躍し、実業の世界へと進んでいます。
父が命を削って築き上げた阿武松部屋の伝統と相撲への敬意は、形を変えながらもしっかりと息子たちへと受け継がれています。
阿武松部屋の現在と師匠の教えの継承|愛弟子・阿武咲らの奮闘
益荒雄が創設した阿武松部屋は現在、元幕内・大道の阿武松親方のもとで堅実な運営が続けられています。先代が残した「礼儀を重んじ、土俵上で嘘をつかない」という教えは、現在の稽古場にも色濃く息づいています。
部屋の看板力士である阿武咲をはじめとする力士たちは、先代師匠が命懸けで残してくれた土俵への誇りを胸に本場所に挑み続けています。益荒雄が蒔いた種はしっかりと芽吹き、令和の土俵でも力強い花を咲かせています。
【元関脇・益荒雄】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:益荒雄の現在の健康状態や病気はどうなっていますか?
A1:退職の原因となった脳梗塞などの既往歴に配慮し、現在は千葉県内で無理のない静養・療養生活を続けています。重篤な状態ではなく、体調を整えながら弟子の活躍をテレビ中継等で見守っています。
Q2:益荒雄が「白いウルフ」と呼ばれた理由はなんですか?
A2:昭和の大横綱・千代の富士(ウルフ)を彷彿とさせる精悍な顔立ちと引き締まった筋肉質の肉体美を持ち、色白であったことからファンやメディアによって名付けられました。
Q3:なぜ日本相撲協会を定年前に退職したのですか?
A3:病気による体調不良が主な理由です。「妥協のない指導ができない状態で師匠を続けることは弟子に対して不誠実である」という本人の強い責任感から、愛弟子の元幕内・大道に部屋を譲り、自主的に勇退しました。
まとめ:不屈の闘志「白いウルフ」益荒雄が遺した相撲界のレガシー
昭和の土俵を疾風のごとく駆け抜けた「白いウルフ」益荒雄。幾度の重傷に屈せず大横綱に立ち向かった現役時代、そして愚直なまでに情熱を注いだ弟子育成の日々は、相撲史に輝かしい足跡を残しました。
土俵を退いた現在も、益荒雄広生という不屈の力士が遺した魂は、阿武松部屋の力士たち、そして今なお彼を敬愛する相撲ファンの心の中に確かに生き続けています。 (出典: 益 荒 雄(Yahoo!ニュース))